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河田 純一 さん

一人にならずにすんだ―― 大学を辞めても支えてくれた仲間たち

とはいえ、大学に通うのはやはり簡単ではありませんでした。発症の翌年春に休学し、その年の秋から復学したのですが、吐き気や下痢、体の痛みのため、通学がなかなか難しく、それでも2年間は在籍していたものの、2007年3月、とうとう自主退学することにしました。
あのときは悔しかったし、悲しかったですね。
社会学を専攻していたのですが、発症前は図書館の司書の資格取得に向けて勉強しており、実際に図書館でアルバイトもしていました。しかし、その夢はいったんあきらめざるをえませんでした。療養のため実家にいることが多かったので、東京の下宿先も、両親が家賃を払い続けてくれていたのですが、ほとんど使うことはありませんでした。
ただ、大学の先生が「来られるときだけゼミに出てくればいいから」と理解を示してくれたおかげで、大学との縁は切れずにいることができました。
一番うれしかったのは卒業パーティーのときですね。同期が卒業するタイミングで退学したのですが、みんなはそんな私を学科のパーティーに呼んでくれたのです。卒業はしていないけれど仲間と一緒にお祝いできたので、心残りなく大学を去ることができました。
また、パーティーのとき、普段はあまり接点のなかった先生がそばに来て声をかけてくれたことが、今も印象に残っています。「君もこれからいろいろ大変だろうけど、大学の外で学べることはいくらでもあるはずだよ」。この言葉にはとても勇気づけられました。
大学の友人たちとはもともと仲がよかったので、発症してからも交友が途絶えることはありませんでした。体調が回復してくると、よく連れ立って遊んだものです。一緒に温泉旅行などに行くこともありました。社会人になって環境が変わっても、みんなの私に対する姿勢はまったく変わりませんでしたね。
飲み会の場で、薬の副作用で指先がピクピク震え、箸やコップがうまく持てないといったこともありましたが、「指が痙攣してうまく持てないんだよね」と自ら話すと、そういうものかとすぐに納得し、自然に接してくれました。
発症当初は、CMLになったことをどう告げればいいか戸惑いもありましたが、すでにSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などで病気のことを書いていたこともあり、さほど悩みませんでした。友人たちの受け止め方も深刻な感じではありませんでした。「治療薬はちゃんとあるから」と伝えていたためでしょう。
闘病中ずっと友人たちが支えてくれたおかげで、一人にならずにすみました。本当にありがたかったですね。

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